おはようございます!学猿です。

前回は、染毛事件がひと段落し無事に解決に至ったあと、自身の心身が疲労困憊であることに気づき、長めの休暇を取得。
その休みの時間の中で、自分の心身がそこまで疲れ切っていた本当の理由に気づいたところまでを書きました。

 

 

今回はその続きです。

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他人を変える

 

染毛事件の中で、僕の心身が疲労困憊になった根本の理由は、

「他人を変えよう」

としていたことだと気がつきました。

事の発端は、僕に髪を染めるよう指示してきたことに対する反発でした。
このこと自体に問題はなかったと思っています。

今でも、もし何の理由もなく見た目を強制的に変えるよう言われれば反発します。
業務上必要だと思えないのに髪を染めさせられるのであれば、今でもきっぱりと断るでしょう。

ここで言う「他人を変えよう」としていたのは、

「髪を染めるよう指示してきた人間の考え方」
「何もしない人間に、しっかり仕事をするように促すこと」
「会社にとって不必要(だと僕が考える)人間に処分を下すよう求めること」

など、自分が考える、「正しい」と思う考え方に則った行動を、他の人にも求めるという意味です。

 

十人十色・千差万別

 

僕はこの染毛事件が終わるまでに、よく言う口グセがありました。
それは、

「普通~やろ」
「一般的には~やろ」

です。

ここで言う「普通」や「一般的」は、誰のモノサシ、考え方なのでしょうか?

そう!僕の物事に対する尺度であり、僕の考え方なのです。
勿論、全ての事柄に対してそう言っている訳ではありませんでした。

ですが、多くの事柄に対して、自分の考えやモノサシ、価値観が「正しい」と思っているフシが僕にはありました。

今回の事件においても、僕の考え方に反する行動を取る人たちを、「おかしい」と常に思っていました。

差別発言を繰り返すNマネージャー。
要職にありながら、無用の長物と化していたH部長とK部長。
僕の反発を、「金目当て」と糾弾してきたY部長。

などなど。

ここに名前を挙げていない人の中にも、当時の僕から見ると「おかしい」と感じる人はいました。
僕はその人たちの行動や考え方を否定し、僕が正しいと思っている価値観で動く「べき」だと思っていました。
この事件の始まりから、僕は一貫として「被害者意識」がありましたので、その考え方に拍車がかかっていたように思います。

ですが、人は十人十色、千差万別です。
様々な価値観を持ち、色々な考え方を持っています。

このことに気づいた僕は、

「あっ!ここまで疲れている原因は、自分自身にあったんだ!」

と、どこか腑に落ちたのです。

 

湧いてきた

 

人の容姿を否定し、無理やり変えさせようとすることは、イケないことだと思います。
会社から給料を貰っていながら、自分の仕事を全くせず、自己保身に終始するのはダメなことだと思います。
事態の根本を判断しようとせず、金銭目的の訴えだと恫喝することは、酷いことだと思います。

コレらの発言や行動を取る人に対して、「それはおかしいと思います!」と声を挙げることは問題ないでしょう。
ですが、その声を挙げたあと、コレらの人たちの考え方や行動を是正しようと、色々な方法で働きかけることは必要ではないかもしれません。

ましてや、この考え方の全く違う人たちのことを常に考えながら、イライラしたり、時には殴りかかろうとしたり、どうすれば制裁を加えられるか考えたりしたりすることは、全く意味のないことでした。

それどことろか、それらの負の考えが多くのストレスを生み、自分自身の心身を疲れさせてしまっていました。

僕は、自分と考え方の違う人たちを、自分が正しいと思う価値観に当てはめようとしていました。
僕と違う考え方の人たちの行動を、自分が正しいと思う行動に変えようと思っていました。

コレがいかに無駄なことか。
コレがいかに自分を疲弊させていたことか。
コレがいかに無意味なことだったのか。

仕事を休んでいる間に、そんな想いが心の底から自然と湧いてきました。

人は人。
自分は自分。

自分だって、無理やり考え方や行動をねじ曲げようとされれば、抵抗することでしょう。
自分がされて嫌なのだから、相手だって嫌な気持ちになって当然です。
嫌な気持ちになった相手は、僕に対して攻撃的な感情を持つかもしれません。
そうすれば、事態は益々収拾がつかなくなっていきます。

そう考えるようになった時、心が一気に楽になっていく感覚がありました。

では僕は、他人の気持ちを尊重し、怒りを全く感じなくなり、お釈迦様の領域に一歩進んだのでしょうか?

答えはNo!

僕はそんな出来た人間ではありません。
突然、聖人君主になった訳でもありません。
悟りの道を歩み始めた訳でもありません。

ただ、現代社会の日々の生活の中で、多くの無駄なストレスの原因となっている元の一つに気づき、その対処法を自分なりに見つけることが出来たに過ぎません。

次回は、僕なりの対処法を皆さんにお伝えしたいと思います。

それこそがこのシリーズのタイトル、【実体験】これでストレスが激減しましたの答えです。

つづく

 

 

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