おはようございます!学猿です。

前回は、当時働いていた会社で給与の未払いが発生したことをきっかけに、仕事を辞めたところまでを書きました。

今回はその続きです。

 

 

 

迷いなく

 

給与未払いをきっかけに退職した僕でしたが、迷いはありませんでした。

当時の仕事が大好きだった訳ではなかったこと。

まだ当時20代と若かったこと。

収支表をつけ始めたことで、パチンコ・パチスロは十分に勝てるゲームであることが確認出来たいたこと。

何より、パチプロになってみたかったこと。

仕事を辞めてパチプロになることに、全く躊躇はありませんでした。

 

即引退

 

仕事を辞めた翌日から、僕はパチプロとして活動を始めました。

まぁ「プロ」といっても、別に資格があったり、何らかの団体や協会がある訳ではありません。

いつでも誰でもパチプロを名乗ることは出来ます。

僕はただ自分で「パチプロ」と名乗っていただけです。

パチプロとして生活を始めることを決めましたが、一つだけ自分の中でルールを決めてスタートしました。

それが、

「一か月でも収支がマイナスになったら即引退」

というものです。

パチプロとして生活するということは、パチンコ・パチスロで勝負して勝ったお金だけで生活するということです。

その勝負した結果として、月間で一度でもマイナスを刻んだ時は、潔くパチプロを辞めると決めてスタートしました。

商売で言えば、月間で赤字になってしまったら即閉店(廃業)ということです。

厳密に言えば、経費などは考慮に入れず、単純にパチンコ・パチスロの勝ち負けの差額がマイナスなれば即引退だったので、商売で赤字になることとは意味が異なりますが、イメージとしてはそんな感じです。

 

第一歩

 

当時の会社員の仕事を辞めたのが12月31日の大晦日。

なので、翌日の1月1日が僕のパチプロとしての記念すべき初日でした。

回想

 

世の中はお正月。

大阪の街は交通量も少なく、人の姿もまばら。

そんな静まり返った街を、原付に乗って朝10時にパチンコ屋さんに向かいました。

元々お客さんが多くないお店だったとは言え、お正月と言っても元日の朝。

「普通の方々」は自宅や実家で新年を祝っていたのでしょう。

開店時にお店に入ったのは僕一人。

店員さんの「明けましておめでとうございます!」の声に、少し照れながら「おめでとうございます・・・」と呟いて狙った台に座りました。

その日は結局、朝一番に座った台を開店から閉店まで打ち続けて終了。

最終的に、12,000円勝利という結果でパチプロ初日を終えました。

これが、僕のパチプロ生活第一歩でした。

つづく

 

 

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