おはようございます!学猿です。

前回は、休暇を取りゆっくり休んでいる間に、自分の心身を疲れさせている一番の原因が、他人を変えようとしてる自分の考えにあると気づいたところまでを書きました。

 

 

今回は今までのまとめ、このシリーズの最終回として、自分のストレスを激減させてくれた考え方について書きたいと思います。

このシリーズを最初から読む↓

 

自分の枠にハメようとしない

 

僕のストレスを激減されてくれた考え方は、一言で言ってしまえば、

「他人を自分の枠にハメようとしない」

ということです。

人にはそれこそ人の数だけ、価値観や考え方があります。
そしてそれぞれに、「正義」があるのでしょう。

これらはどれだけ議論しようが、たった一つの「正解」が見つかるとは思えません。

このシリーズの最初の方に、「時代が違えば殺しさえ讃えられて」という歌詞があると書きました。
日本でも、そんな時代が事実ありました。

人を殺すことなんて、そこに正義があるとは到底思えません。
それを認めることなんて言語道断です。
ですが、そんな時代が本当にあったのは紛れもない事実です。

これは極端な例ですが、それだけ価値観や考え方は、時と場合、時代や場所によって異なるものだということでしょう。

 

違って当然

 

ここまで極論ではなくても、人の考え方は違って当然です。
そこに絶対の「正解」がない以上、自身の考えが100%正解とは言い切れません。
同時に、自分の考え方とそぐわない他の人の価値観が、100%間違っているとも言えません。

であるならば、相手を無理やり自分の考え方に押し込もうとすることに、何の意味があるのでしょうか?
勿論、相手の考え方をどうしても受け入れらないこともあります。

だからと言って、他人が自分の考えにそぐわないことにイライラしたり怒ったりすることに、どんな意味があるのでしょうか?

それらは、ただ、自分を苦しめていまうだけなのではないでしょうか?

当然ながら、相手の攻撃的な行動が原因で、直接的な被害を被ることもあるでしょう。
その場合は、感情ではなく、キチンとしたルールに則って戦う方が現実的です。

これを書きながら、「そんな単純で簡単に解決しない問題が世の中には沢山ある!」という声があることは百も承知しています。

逆に言えばだからこそ、そのような大きな問題にしっかり対処する為にも、日常のちょっとした出来事に腹を立てたり、他人に文句を言う必要はないではないでしょうか?
このシリーズの第一話で書いた、

街中を歩ている通行人。
ご飯を食べに行ったレストランの店員。
電車で一緒に乗り合わせた他の乗客。
同じ会社で働く上司、同僚、アルバイト。

そんな人たちの一挙手一投足にいちいち反応していたら、本当に自分の心が疲弊してしまいます。

 

タイムマシーン

 

もしここにタイムマシーンがあり、僕が髪の毛を染められるように言われたあの時に戻れるとしたらどうするか?

今の僕なら、

髪は染めない、染めない理由は、その命令は人権無視、差別行為だからと言う。
会社の上層部に事実を伝える。
何も解決しないのなら、労働基準監督署に通報。
弁護士を通じて正式に争う姿勢を明示。
これで退職に追い込まれるのであれば、さっさとそんな会社辞めてしまう。

以上ですね。

恐らく、弁護士に相談するまでで約一か月と言ったところでしょうか?
こんな下らない争いに長い時間をかける程、僕の人生の大切な時間を無駄にする訳にはいきません。

ここで大事なポイントは、「さっさとそんな会社辞めてしまう」です。

僕はこの時、「会社を辞めてたらまともに生きていけない」と、自分に制限をかけていました。
実際には、それなりに何とかなるもんです。

事情は人によって異なるので軽々しくは言えませんが、「ここしかない!」「この会社を辞めてたら生きていけない!」と思っている方。
もしかしたら、それは単なる、「思い込み」かもしれませんよ。

 

自由

 

日本に住む僕たちには自由があります。

道路に散らかっているゴミを見て、イライラすることが出来ます。
街中のちょっとした迷惑行為に目くじら立てて怒ることが出来ます。
愛想の悪い店員に当たったことを、家に帰ってからグチグチ家族に言うことが出来ます。
自分を傷つけた人、自分を攻撃してきた人に対して、どうやって復讐するかに考えを張り巡らすことが出来ます。
自分勝手な振舞いや言動で、家族に迷惑をかけてきた親や兄弟を恨み、嫉み、殺意を抱くことも出来ます。

一方、

落ちているゴミを拾って、ゴミ箱にゴミを捨て、「街が少し綺麗になったな」と思うことが出来ます。
電車の中でお年寄りに席を譲っている若者を見て、どこか優しい気持ちになることが出来ます。
気持ちの良い接客をしてくれるコンビニの店員さんに出会い、それを友達に教えてあげることが出来ます。
自分に優しい言葉をかけてくれた人に対して、何かお礼のプレゼントをしようと、喜んでくれる品を探すことが出来ます。
自分をいつも支え、側にいてくれる家族が、「どうすれば笑顔溢れる生活が出来るか?」を一日中考えることが出来ます。

自分の目の前で起こる現象の全てを、自分でコントロールすることは出来ません。
他の人を、自分の思い通りに動かすことは出来ません。

でも、日々起こる出来事の中で、どの出来事にフォーカスを当てるかは、自分で決めることが出来ます。
自分が他人をコントロール出来ないように、あなたも他人にコントロールされることはありません。

もし頭の中、心の中が、嫌な人や嫌な出来事で支配されているとすれば、それは、「あなた自身がそれらにフォーカスを当てている」だけです。
全てとは言いませんが、ストレスの原因の多くは、外ではなく内にあると思います。

僕はそう思うようになってから、ストレスが激減したことを実感しています。
勿論前回書いた通り、僕は聖人君主でも何でもありません。

日々のちょっとしたことに対して、今でもイライラしたり、怒ることだって当然あります。
ですが、その頻度は激減し、例え一瞬怒ったとしても、それを長く引きずることはなくなりました。

ちょっとだけ視点を変えてみたり、少しだけ考え方を変えてみたり、短い時間でも、自分の大好きな人やモノについて考えてみたり・・・
そんなちょっとしたことの積み重ねで、自分のご機嫌を上手く取ることが出来ています。

誰しも人生は一回です。
イライラして怒りながら過ごすのも自由です。
穏やかに、笑顔で過ごすのも自由です。

他の「何か」や「誰か」のせいで、自分が幸せになれないっ!
本当にそうでしょうか?

あなたの人生はあなたのものです。
何に意識を向け、何を選択するかは、多くの場合自分で決めることが出来ます。

その「何か」や「誰か」を、無視してやり過ごすこともまた、あなたには出来ます。

ほんの少しでも、このブログをご覧になった人の心が軽くなってくれることを願って、今回のシリーズを終了とします。

最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事